どーもゆめおいパパです。
前回山梨県内の某お菓子メーカーに勤めていた時の賃金・労働形態・仕事内容などを紹介しました。
今回は山梨県内にある某自動車部品メーカーで4年働いた感想をまとめました。
仕事内容、人間関係、雰囲気、待遇などなど、実際に働いて感じたことをご紹介したいと思います。
もくじ
後にも先にも兎に角ハードな職場でした。
2度と働きたくない会社ナンバーワンです。
夜勤は無法地帯で禁止事項のオンパレードで1秒のロスも許されない過酷な現場でした。
雇用形態 | 契約社員 |
賃金 | 日給9250円 賞与年2回 各手取り10万円(社員は年間5ヶ月分) |
福利厚生 | 各種保険 夜勤勤務手当1日3000円 深夜手当 通勤手当 社内販売 社員食堂有り 社内コンビニ有り |
正社員登用制度 | 有り |
残業 | 1日1.5時間 たまに3時間(希望) |
就業時間 | 8:00~17:00 20:00~5:00(1週間毎で日勤と夜勤のローテーション) |
上記が簡単な雇用形態の内容です。
ちなみに通勤距離10km程度(15分程度)毎日定時だと手取りで21万、残業と23日勤務で28万円程です。同僚に通勤距離30km(1時間程度)の人がいましたが、その人は+2万円程もらっていました。
ハローワークで求職活動中に期間従業員(契約社員)の募集を見つけ応募しました。
※この時に送った資料は履歴書だけだったと思います。
今では人手がいないのか正社員の募集を定期的に見かけます。
それだけ人が辞めているって事ですかね。
実は書類選考の時点で不採用の連絡が来ました。
しかし、数日後改めて電話がかかって来ました。
と連絡が来ました。
今思えば過酷な労働環境と仕事内容で人が辞めちゃったんだなぁって思えますが、当時は大喜びでした。
面接の内容は
というような事を聞かれただけでほとんど採用前提の話をしました。
そしてその場で採用が決まり、翌週の月曜日から出勤する事になりました。
大手なのにその場で採用されるなんてあるんだぁ・・・と不思議に思った記憶があります。
当日社服を支給するので朝はチノパンにポロシャツで来てくださいと言われました。
※ユニクロの黒のポロシャツとチノパンを履いて出社しました。
事務所で正式に書類にサインをし、そのまま現場に案内されました。
現場からは直属の上司が仕事について説明をしてくれました。
よく記憶に残っているのが
テーブルに置いたボールペンを「拾ってみろ!!」と言われたことです。
「?」拾った瞬間に
と大声で笑いだしました。
この時「あ、自分が採用されたのはその人の代わりか!?」と察しました。
仕事内容は極めて単純な流れ作業でした。
上流から流れてくる物を下流に流すだけ(右から左に流す)です。
たったそれだけの仕事です。
細かいことを言うと目視で確認するポイントが各工程に数カ所あります。
持った瞬間に目視で確認します。
時間で言うと1秒以内に「持つ」「確認」と言う作業をします。
しかも休憩時間以外休まずひたすらこの作業を繰り返します。
談笑する時間が一切ありません。
話を聞くだけだと簡単で単純な作業に感じますがコレがヤバかったです。
装置にセットするその物は1つ1キロ程度、1つ工程を通過するたびに徐々に重くなり最終的には8キロ近くまで重くなります。(途中からは治具に乗った状態で最終検査作業者以外は手に持つことはしなくなります)
しかもツルツル滑りやすい表面処理、形状なため持ち上げる時に必要以上に力を入れて持ってしまいます。
そのため指が腱鞘炎になりペットボトルの蓋を開けられなくなるまで痛くなります。
毎朝指の激痛で目が覚めるほどです。
コレが約3ヶ月続きます。
「この痛みが無くなってやっと一人前だ!!」と先輩たちに言われます。
が、痛みが収まる頃になると次の工程に移動になりまた振り出しに戻ります。
結局僕は1年間ずっと激痛が続きました。
指も腫れて人差し指にしていた指輪が小指にピッタリになるくらい腫れました。
ラインのルールに必ず次工程が終わるまで待つという基本のルールがあるのですが、夜勤になると上司や管理者が居なくなるため、次工程が手間取っているとドンドン貯められるてしまいます。
最大で50個以上ためられたことがあります。
貯まった分は休憩時間を使い流すのですが、そうすると次工程がたまってしまうためそこも自分で流さないといけなくなり休憩が取れなくなってしまいます。
一回ミスをして10秒ロスしたら、1秒ずつ挽回しないといけない。
ミスをすると周りから冷たい視線がくる、とにかくミスは許されないそんな雰囲気の現場でした。
正確にはあるはあるんです。
しかし物流の倉庫が隣にあるため頻繁に扉が開き、外から外気が入ってくる現場でした。
夏は作業服が汗でビタビタになり、休憩で乾くと塩が結晶化され白くなりました。
冬は寒さに震えながら仕事をしていました。
そんな寒い冬でも上記の煽りのせいで必死に動いていると夏場同様に作業服が汗が乾いた塩で白くなるほどハードな仕事でした。
少しでも生産数を稼ぐために毎日時間ギリギリまで生産していました。
生産が終わるとタイムカードを没収され、打刻され返されました。
片付け・逆班の準備に1時間、その後の意味のわからない世間話に30分付き合わされていました。
クタクタだから帰らせてよ・・・と毎日思いながらも怖くて言い出せず部屋の隅っこでみんなが帰るのを待っていました。
普通の会社は喫煙者は肩身が狭い思いをするものですが、ヤンキーだらけの職場・・・と言うこともあり非喫煙者の方が肩身が狭い思いをする事になります。
僕の所属していた部署の上司は禁煙室で平気でタバコを吸うくらいモラルの無い現場でした。
勤めてわかったことですが3年働いて初めて正社員登用試験に受けられる資格がもらえるそうです。
3年ですよ!?しかも僕の配属された部署だけで20人近く待ちの人達がいます。
4年間居ましたが自分の工程からは毎年3人が試験に受けれていました。全員が登用されるわけではないので自分の番が回ってくるのは・・・いつ?
と思っているうちに転職をすることにしました。
生産現場で働いたことのない方はなかなか耳にするワードじゃないと思います。
みずすましと聞いてどんな仕事か想像出来ますか?
簡単に言うと部材を供給する役割の人のことを言います。
このみずすましは生産現場ではかなり重要な役割な上にハードです。
頭の回転と体力が無いとラインは止まってしまいます。
僕も経験ありますが2度とやりたくない仕事No.1です。
前工程の進捗、入荷する部材の量を見ながら常にどういう組み合わせでラインに物を供給するのかを考えないとラインが止まってしまうから責任重大なんです。
僕はしょっちゅう止めてました。
部材を工場中から集めるため、10kg〜100kgの台車を押しながら1日2万歩近く歩きます。
メモ帳や筆記用具を入れたウエストポーチが歩くたびに揺れて擦れて1週間で穴が空き、防水じゃない時計は汗で半日で水没して壊れてしまう程動きまわります。
この時期に仕事のハードさと関わる部署・人が増えたことで軽度の鬱になってしまいました。
今思い返しても良い思い出はほとんどありません。
人間関係や食堂、コンビニなど正直な気持ちをご紹介したいと思います。
僕のいた部署はヤンキーばかりです。
(当時は平均年齢28歳くらい。みんなパワーが有り余っているせいかやんちゃな人ばかりでした。)
正直怖い人ばかりで、年に1回ある部署の飲み会(忘年会)は本当に参加したく無かったです。
飲み会は部署の飲み会が年1回、ラインの飲み会が年2回あるかないかという感じでした。強制参加ではありませんでしたが出ないと上司が機嫌悪くなるとのことで半強制で参加させられました。
僕は毎回ソフトドリンクだけでアルコール類を強制的に飲まされることはありませんでした。
しかし、当たり前ですが仲良くなれば良い人ばかりです。
プライベートで遊ぶことはありませんでしたが楽しく休憩時間を過ごすことができました。
料理は3種類ほど選べるのですが正直・・・。
人気のメニューの日は行列が出来る程です。
数量が限られているため、一番食堂から離れていた僕の現場では着く頃には行列で食べることが出来ないことが多々ありました。
高島屋や某有名会社の社員食堂を利用したことがありますが・・・。
コンビニはYショップが入っていました。
品揃えは・・・。正直近くのコンビニまで行った方がまともな物が食べられました。
というのも、食堂と同じで着く頃には大混雑で殆どの物が売り切れてしまいます。
僕の記憶では仕方なく食堂で何か食べて、帰りにアイスを買って帰るという記憶しか残っていません。
工場が大きいため駐車場は場外にあります。
指定のエリアが決められていて、エリア内なら何処に止めてもOKでした。
駐車場から現場までは徒歩5分〜10分程でした。
今まで働いた会社(工場)の中で一番悪かったです。
匂い、粉塵、騒音(耳栓装着が義務付けられている)が凄かったです。
夜勤明けに朝日が粉塵で綺麗な筋を作るほど現場の環境は良くありませんでした。
正直本当におすすめしません。
ただ、他の部署(加工)の人は楽だよ、上司が面白くて楽しいよ・・・と言う人もいました。
とは言っても仕事環境は同じなので体に負担のかかる現場ではあります。
転職を考えている方にあまりオススメはしませんが上記のような方は検討してみては如何でしょうか?
それでは!!